持田正樹 ピアノリサイタル~深く心に染み込んでくる、ピアニストと作曲家の「想い」が共振する演奏


 

持田正樹が、2025年6月、ソロサイタルを数十年ぶりに開演した。チケットは2週間前には完売だった。しばらくの間、ピアノデゥオ「ゲンソウジン」や「ラウラ」の、下段のパートを演奏するSecondoとして主に演奏活動を行っていた中、久しぶりのソロリサイタルということもあり、彼が一人の演奏家として1対1で曲とどのように向き合い、表現してくれるのか。期待と応援を胸に会場に駆け付けた。

彼は、幼少時代からピアノをはじめ、英才教育を受けてきたピアニストではない。小学校高学年(12歳)のときにアンドレワッツに憧れ、自らの意志で中学からピアノを始めた。クラシック音楽界の雑草である。

その後、中学・高校は公立高校に進み、大学から武蔵野音楽大学、その後ハンガリー政府給費生としとハンガリー国立リスト音楽院に6年間留学する。そのような彼が、音楽や作曲家と向き合う感性は、実直で誠実である。

 

プログラムの第1節は、グレチャニノフの3曲。「散歩への想い(1940年代の作品)」、穏やかで抒情的な旋律を持つこの小曲は、音楽教育者でもあったグレチャニノフが、子供たちに伝えたかった「穏やかさと自然との静かな語り合いの感性」の大切さが、彼自身の想いと重なり、深淵に表現される。2曲目 プレリュード、8つのパステル Op.61-1 (1911年代の作品)、色彩・雰囲気の描写が描かれている曲。リムスキー=コルサコフの弟子でもあったグレチャニノフが、ロシア的抒情とフランス印象主義の間を探り、その結果として、色彩豊かになる印象。そしてノクターン(1890年代の作品)。感情と形式のバランスを大切にした演奏。グレチャニノフの作曲した曲年代を、晩年期からスタートしたところは、彼のソロ活動への「原点回帰」が重なる。

プログラムの第2節はバルトーク。ここは彼の雄弁な解説とともに演奏をするというスタイル。演奏は、トランシルヴェニアの夜(1908-1909年)、ミクロコスモス4巻(1930年代)、ミクロコスモス6巻(1930年代後半)からの抜粋。いずれも、子供の教育と芸術の融合を志向した作品。トランシルヴァニアの夜は、ハンガリー、ルーマニア、スロヴァキアの膨大な地方民謡を採集して、それらを融合した音楽。飾りのない庶民生活の中に育まれていた文化を旋律で表現する。彼の真骨頂である。ミクロコスモスは、当初、バルトークが自信の長男の教育のために作曲した作品。演奏者に、音楽の知的創造力と近代的音楽構造の理解を求める作品。彼の知性によって創造された民族・近代音楽が見事に表現される。

そして第3節はリスト。ペトラルカのソネット第104番、波の上を渡るパオラの聖フランチェスコ、そしてピアノ・ソナタロ短調(1853年)。いずれもリストの詩的精神、宗教的ヴィジョン、ピアニズムの頂点を示す重要作品。リストは作曲家としてのみならず、思想家、宗教家、教育者、指揮者として、多彩な天才、を発揮したことはよく知られているが、その才能がすべて深いところで1つの世界観に繋がっていて、超絶技巧によって、彩りある詩的な旋律、繊細な装飾、情熱のうねりとして表現される。中でも、ピアノ・ソナタロ短調は、19世紀ピアノ音楽の最高傑作のひとつと評価され、初演当時は極めて先進的な作品。当時の多くの聴衆や演奏家には理解されなかった。このソナタは、リストが敬愛し、また自身の革新的な音楽を理解し賞賛してくれたドイツの作曲家、ロベルト・シューマンに献呈されるも、シューマンは当時すでに精神の病に倒れており、この作品を実際に聴いたり演奏したりした可能性は低いとされる曲。

持田自身は、リサイタル当日に「この作品は、僕には深淵で壮大で偉大すぎて。いつ、この曲を弾きこなせるのか。」と語った曲。その弾き方は、CDでの演奏で見せた表現とは少し異なる新しい世界を演出していた。

 

持田の演奏スタイルは、大袈裟な表現やテクニックを聞かせようとするものではない。「音楽」と正面から真摯に向き合う姿勢と研ぎ澄まされた感性を溢れんばかりに伝えようとする演奏である。「繊細」で,それでいて「おおらかな」感性と,その感性に満たされた「音楽」が満ち溢れていて,深く心に染み込んでくる。ピアニストと作曲家の「想い」が共振する演奏だ。

アンコールの最後で演奏した「愛の夢」は、本人が若かりし頃、もっとも弾きにくい曲の一つだったと漏らした曲であり、持田と筆者が15歳の時、初めて出会った音楽室で、持田の前で、恥ずかしながら、筆者がそのサビ部分を彼の前で弾いたいわくつきの曲?である(ちなみに、彼はショパンの幻想即興曲を弾いてくれた。彼は、ピアノを始めて3年で、あの曲を弾いていたことになる。志と熱意に感服する。)そのような曲を、持田が”自らの表現”をそのまま開放して、楽しんで演奏をしていたことが印象的であった。そのような中に、彼が「守破離(守って、破って、離れる)」の離に行きつく姿を見た。

作曲家が作品に込めた意志を守り、向き合ってきた持田が、その深い世界に敬意を表しつつも、彼の世界を創造し、破り、離れていく。これからのソロ演奏が楽しみである。

                                                                                                                                                相馬明郎